映画(ほか)覚書

映画ほか見たものについての覚書

日本映画

メモ:『星屑の町』「心の傷を癒すということ」『37セカンズ』『響 -HIBIKI-』「女川 いのちの坂道」「盲亀浮木~人生に起こる小さな奇跡~」 「ストレンジャー~上海の芥川龍之介~」

『星屑の町』(2020/日本/杉山泰一) あるいは贔屓目なのかも知れないが、ならば見る者を贔屓目にさせる一際な何かがあるのだと、この映画の活けるのんさんを見ていても言いたくなる。演出なり演技なりの狭間からときとして表出する御愛敬。野暮ったい田舎…

メモ:『犯罪都市』『ブラッディ・ガン』『台北ストーリー』『ロビンフッドの冒険』『わたしは光をにぎっている』『AKIRA』『スケアリーストーリーズ 怖い本』

『犯罪都市』(2017/韓国/カン・ユンソン) 「犯罪都市」ソウル、その混沌としたローカルな地域性がどこまで現実に根差すものかは判らねど、活劇の舞台となるにはこんな国際化と地域性の鬩ぎ合う社会的背景は欠くべからざるものなのかも知れず。1stショッ…

メモ:『風立ちぬ』『ペギー・スーの結婚』「八つ墓村」『レイジング・ブル』「風雲児たち~蘭学革命篇~」『触手』『武士の家計簿』

『風立ちぬ』(2013/日本/宮崎駿) 可塑性。 生きとし生けるものの一部としての機械の機体、起きて見る夢と寝て見る夢、溶け合い繋がり合う線と線、イメージとイメージ、意味と意味との只中で、ただ生きる、生きているという、その単純なリアルの「美しさ…

『火口のふたり』(2019/日本/115分)荒井晴彦

台詞を撮っている、と思える。台詞を話している演者ではなく、演者が話している台詞を撮っている、ように見えてくる。それは始め、所謂「行間を読ませる」というよりは行そのものをそのまま読ませているような印象として触知される。とにかく演者が演じると…

『さよならくちびる』(2019/日本/116分)塩田明彦

女性二人の今まさに唄を歌うくちびるがつむがれる言葉に合わせて蠢く、その様子が、演技でありながら演技でなく、また演出でありながら演出でなく、くちびるが蠢くその様子そのものとして画面の中に映える。生きている、と言うことなのだと思う。 ロードムー…

『火垂るの墓』(1988/日本/88分)高畑勲

ある人間がある運命を現実に辿ったこと、そのこと自体を良い悪いで判断することなど本来は出来る筈が無いのに、物語として提示された全体を前にすると人は安易にそれを言い始める。物語には帰結があり、帰結があるかぎりで過程もあり、だとするとまるで何と…

『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999/日本/104分)高畑勲

家族の、家庭の映画であるが故に、それは父親のタカシの映画としてだいたいはまとめられる。何故なら一家が一家である以上は、誰かがその支え役としての大黒柱でなければならず、ここでは順当に父親のタカシがその役を担わされているからだ。父親がその役を…

『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994/日本/119分)高畑勲

「漫画映画」。漫画の漫画たる所以は平面的に描かれることであって、つまり必ずしも立体的な構図を前提としない。平面的に描かかれることにあっては記号的な表徴が支配的になり、描線は立体の細部というよりは平面の図式と化し、つまり描線が描線それ自体と…

『おもひでぽろぽろ』(1991/日本/118分)高畑勲

1991年時点での1982年と1966年の物語。つまりは過去の物語。映画の物語本編の中では1982年が現在で1966年が過去というかたちになっているが、1991年の映画の観客からすれば1982年も1966年も近くあろうが遠くあろうが過去には違いない。原作漫画が1966年の子…

『じゃりン子チエ 劇場版』(1981/日本/110分)高畑勲

映画を基本的に構成する二つの軸があるとすれば、それは「演出」と「演技」であって、それがアニメーション、とくに人の手で描くアニメーションに於いて難しいのは、恐らくキャラクターに「演技」をさせることなのではないか。基本的に画面の全てが人の手に…

『沖縄スパイ戦史』(2018/日本/114分)三上智恵、大矢英代

「スパイ」や「陸軍中野学校」などというワードが映画的な興趣をそそる、なんて物言いは無論粗暴な言い草に違いないだろうが、しかしこのテレビ的なドキュメント作品はたしかにそんな秘匿された事実自体のフィクショナルな喚起力に、作品としての魅力を支え…

『機動戦士ガンダムNT』(2018/日本/90分)吉沢俊一

ガンダムはガンダムであって、それ以外のものではない。良くも悪しくも。 『逆襲のシャア』の原作だった富野由悠季による小説『ベルトーチカ・チルドレン』の物語の中で、アニメ版の「サイコフレーム」と作劇的な意味で同様の役割を担うのは、アムロとベルト…

『愛しのアイリーン』(2018/日本/137分)吉田恵輔

映画を見ていて、現に目の前にあるその画面を構成しているハンディキャメラがたしかにハンディキャメラらしいと識別できるのは、その画面が微妙にふれ続けているからだ。映画には画面という、本来可視的であるのにもかかわらずそれが無視され続けることで初…